石とMSX松本丈樹ローテク製作記
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終わりゆくものは仕方がありません。受け手ができることは、お金を払うか払わないかだけです。払う人が減ったので、ついに私の少年時代から共に歩んで来たMSXとの別れの時が来ました。新作ソフトも無く、後継機も出るわきゃない状況で、事実上MSX-FANの休刊が、私の中でのMSXの終焉の時です。終わりへのカウントダウンの中、Mファンの欄外では読者からのMSX応援の声と、各方面への恨み辛みに溢れています。初めは共感していたものの、次第に自分との微妙な方向の差に気付き始めました。そしてMファン最終号である1995年8月号が発売されました。すごく悲しいような気がしましたが、しかしそうでもないような気もしました。付録ディスクの「ローラーボール」を延々やりました。
MSX−FANに付録ディスクが付き始めたのは大変嬉しかったのですが、ファンダムのプログラムが全て収録されていたため、打ち込む機会が皆無になってしまい、すっかりプログラミングから縁遠くなってしまいました。そして付録ディスクが2枚組になって、古めの市販ゲームが収録されるようになると、今度はすっかり市販ゲームを買おうという気持ちが無くなりました。まあ買おうとしても、ほとんど売っていなかったのですが。
新作のMSXパッケージソフトが激減すると、もはやTAKERUが頼みの綱という時期が来ました。MSX後期を体験した方々なら、あの黒くて正方形のパッケージが部屋に積んであったんじゃないでしょうか(その前は黄色のパッケージでしたね)。知らない人に説明しますと、TAKERUはパソコンソフト自販機(ソフトベンダーって言うんでしたっけか)で、電気店のソフト売り場の隣でMSXに限らずフロッピー版ソフトを発売していました。とはいえ、お金を入れると店頭で売っているようなパッケージがゴトンと出てくるわけではありません。機械内には空のフロッピーがあるだけなので、購入してからデータの書き込みが始まります。紙コップの自販機と同じシステムですね。MSXは書き込みに時間がかかるので、ソーサリアンのような何枚組みにもなるソフトとなるとかなりの時間TAKERUを占拠することになり、ゲームセンターで小銭を山積みにしてコンテニューを繰り返す嫌な大人の気分を大いに味わえました。
MSXが終わっていく予感というか空気というものを感じ始めたのは、やはり新作ゲーム情報によるところが大きかったように思います。徐々に減っていく発売予定新作ゲームの数は常に寂しさを誘いました。とはいえ私がMSXを始めたのがMSXのピークとも言える頃で、常に緩やかな下降線の中でMSXを使っていたわけですが、その下降線が急激に落ち始めた前兆としてアダルトゲームの隆盛が記憶に残っています。
友人に一枚の写真を渡される。その写真を元に冊子の表紙を描かなければならないらしい。言われたとおりMSXでこの難解な題材と格闘する。完成した冊子のタイトルは「モガリン」。以下が約10年の時を経て蘇った私の”作品”。
高校受験で、到底受かるはずの無い高校に合格したため、親から褒美として最後のMSX、FS-A1GTを買ってもらいました。MSXturbo-Rです。どん詰まりです。この選択が私をMSXに縛り付ける決定打となったわけですが、よくぞこの期に及んでターボRを買ったと自分を褒めたいです。正直もうやばかったんですから。
で、何か変わったかというと、モニターへの出力が、ビデオ端子からRGB端子に変わってグラフサウルス環境が良くなったくらいで、それほどターボRを使いこなせていたとは言えません。ターボR対応のゲームも、市販のゲームは買ったことがなく、ファンダムのいくつかのゲームだけが高速モードを使用していただけでした。これまた勿体無い限りです。
MSX2+を買うと同時にツール類を使う機会が多くなったので、やっとマウスを買うことにしました。今ではパソコンといえば入力機器はマウスですが、MSXではマウスは特殊な周辺機器という位置づけです。発売されるソフトもゲームが中心で、マウス対応のツール類は現在のパソコンの状況と比較すると異常に少なかったと言えます。しかし、CGツールを例に採ると、MSXはドットが荒かったせいもあってか、ドット単位の描写が常識で、確かにキーボードでの操作でも不可能でありませんでした。でもやっぱり不便は不便。キーボードでのカーソル移動は、マウスと比べるとスピードが格段に違いますし、自由線を引くときなどは90度か45度の線しか引けません。ということで買ったのが「エレコムエッグ」。他のMSX対応マウスと比べて安かったのと、Mマガの周辺機器比較記事で中々に評判が良かったので決めました。大きさは小さめで、丸みを帯びたフォルム。結構気に入り、MSX自体を使わなくなるまで愛用し続けた一品です。
私が買ったMSX2+(HB-F1XDJ)にゲーム開発ツールや、製作ハンドブックがついていたこともあり、それを利用してBASICで簡単なゲームプログラムを作ったことがあります。そのゲームはシューティングゲームで、画面左辺と下辺に一台づつ砲台があり、それぞれを辺沿いに動かして、右端から現れる敵をレーザーで倒す、というものでした。普通のゲームと違う部分は、スペースキーを押すと左と下の砲台から同時にレーザーが発射され、それらが交差する部分でしか敵は倒せないようにした点です。このアイデアは、映画「独裁者」でチャップリンが操作する高射砲が、砲台の回転と上下を別々のレバーで操作するため動きがちぐはぐになってしまい、ろくに敵を撃ち落せなかったシーンから思いつきました。二つの砲台でx軸とy軸を動く敵に合わせるのは簡単にできるものではなく、そこにゲーム性が生まれるのではないかと思ったからです。
MX-101を買って以来、毎年正月前は、年賀状を作るためにMSXを使っていました。最初はカシオ製のワープロソフト付きプリンター(形状としてはプリンター付きワープロソフトですが)。機能としては、漢字が打てて、文字の大きさを変えられる程度。ですからそれで年賀状を作ろうとすれば、普通にやれば文字だけになっちゃいます。なのでもう当然外字なのですよ。イモバンを彫るように、干支の外字をちまちま製作。初めは一文字分のガコガコした干支の絵があって、「賀正」とかあればもう満足だったのですが、毎年毎年どん欲になっていって、年毎に1×2文字、2×2文字、2×3文字と、外字を組み合わせた大きなデザインを作っていきました。今じゃウィンドウズで、CGツールで描いた絵をワープロソフトにのっけるなんて簡単ですが、外字で絵を描くなんてローテクでも、パソコンで年賀状というだけで最先端だった時代もあったのです。
いいかげんMSX1じゃあ、もう、アレだあ、とフラストレーション全開の頃にMSX2+を購入。MSX2+は松下、ソニー、三洋の三社から発売されていて、各社それぞれ特徴を出した機種だったのですが、私が選んだのはソニーのHB-F1XDJ。決め手はゲーム製作に特化していて、開発ツールが付属されていたことです。付属のグラフィックツールやスプライトエディタを利用したゲーム製作のハンドブックも付属されていて、買えなかったカシオの「ゲームランドスペシャル」の仇をソニーで討とうという趣向でした。また、HB-F1XDJにはスピードコントロールと連射の機能が付いていて、ゲームで遊ぶのにも便利です。そして私にとっては初のフロッピーディスクドライブ内蔵のパソコンでした。さらばデータレコーダー。あの「ぴーげろげろ」という音も今となっては懐かしい響きです。あとカシオには申し訳ないのですが、”ちゃんとした”キーボード初体験でもありました。消しゴムキーボードにはない、カシャカシャした感覚は気持ちよかったのですが、キーボードの並びがJIS配列になっていたのには「分かりづらい」と憤ったものです。
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